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惑星同士の位置関係でダシャーを読む②~ピカソの金星期~




前回の記事では、惑星同士の位置関係のパターンを何種類か紹介しました。

今回はそれをどのようにダシャー解釈に用いるか、一例を挙げて紹介してみたいと思います。

よければ皆さんも一緒に考えてみてください。





今回はピカソの金星期に注目してみたいと思います。

ピカソのヴィムショッタリ・ダシャー金星期は1907年3月から1927年3月まで

金星期のアンタル・ダシャー(マハー・ダシャーのひとつ下の区分)は以下の通りです。



このように、ダシャーというのは基本的に最も大きな区分であるマハー・ダシャーとそれより細かいアンタル・ダシャー(レベル2)やプラティアンタル・ダシャー(レベル3)といった、惑星同士の組み合わせにより成立します。

たとえば金星ー木星期であれば、金星と木星それぞれの象意や状態のみならず、金星と木星の相性も考慮する必要があるということです。


その際に大きな手がかりとなるのが、惑星同士の位置関係というわけです。

それでは実際にピカソの金星期のアンタルダシャーを例に見てみましょう。



Ve-Ju



ピカソの金星ー木星期を例に挙げると、左側のラーシチャート(D1)において金星と木星は5-9(トリコーナ)の配置、右側のナヴァムシャ(D9)において4-10(ケンドラ)の配置になっていることがわかります。


惑星同士の位置関係だけに注目した場合、互いにケンドラ、トリコーナ、ウパチャヤの配置は一般的に良好な関係と言えます。

ピカソの金星と木星の位置関係はD1においてもD9においても良好なので、この点スムーズな展開が期待できるといってよいでしょう。

ただ、木星と金星は生来的な性質としては敵対関係にあるので、この点も考慮する必要がありますが・・・。



金星ー木星期は1917年5月から1920年1月まで。

この時期ピカソに何があったか?


金星木星期が始まった直後の1917年5月18日、ピカソが美術・衣装を担当するロシア・バレエ団が上演した『パラード』において、ピカソはオルガ・コクラヴァと出会います。

このオルガはピカソの最初の妻で、ピカソが描いた『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』のモデルとして有名ですね。


『肘掛け椅子のオルガの肖像』 1917年・油彩・ピカソ美術館蔵


つまり、金星ー木星期はピカソにとって「結婚・お付き合いの時期」となったわけです。

アンタル・ダシャーの木星はD1で結婚の7室にアスペクト。D9においても7室を支配する土星にアスペクトしています。


ピカソと出会った後、オルガはバレエ団を去って南アメリカを旅行。1918年7月にふたりは結婚し、バルセロナで暮らしはじめます。



Ve-Sa



続く金星ー土星期を見てみましょう。

D1においてもD9においても、金星と土星は6-8(ドゥシュタナ)の関係になっていることがわかります。


ダシャーの惑星同士が6-8、あるいは2-12の配置になっている時期は要注意。何らかの障害や問題、停滞が予想されます。



ピカソの金星ー土星期は1920年1月から1923年3月まで。

結婚生活が始まった直後のこの時期、一体何があったのでしょうか?


僕はホロスコープを見て「結婚生活に問題があったのではないか?」と思って調べてみたのですが、どうやら1921年2月4日の第一子誕生以降、ピカソとオルガの関係に次第に亀裂が入っていったようです。


オルガは、ピカソを上流階級のディナーパーティへ連れていき、パリの富裕層たちに紹介したそうですが、ピカソの自由奔放な性格が災いしたのか、上流階級の世界はピカソの肌にはあわず、オルガと度々衝突を起こしたそうです。さもありなんですね。

この後、1927年にピカソは17歳のフランス人女性マリー・テレーズ・ウォルターに夢中になって彼女を妊娠させ、オルガとの関係は修復不可能なものになってしまいますが、すでにそういう問題は金星ー土星期から始まっていたと見てよいでしょう。


さらに言えば土星と金星の組み合わせ自体もエニグマ(謎めいた)ダシャーといって、問題を孕んだ時期になりがちなのですが・・・その解説はまた機会をあらためて。



というわけで、今回は位置関係を用いたダシャー解釈の一例を紹介しました。

次回は、この惑星同士の位置関係から生まれる特別なコンビネーション(ヨーガ)について少し見てみたいと思います。

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